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三和60年史の裏話(創業者が語る創業の頃)

創業の頃 (戦後の混乱期)

我が家が貧乏のドン底にあえいでいた戦後の数年、日本国内も又いろんな事件があった。
昭和21年5月1日 メーデー11年ぶりに復活
      8月20日 暴行魔小平義雄捕えられる
昭和22年1月31日 2.1ストにマッカーサー元帥の中止命令
昭和23年1月26日 帝銀事件 行員12名毒殺される
昭和23年11月 東京裁判 東條英機ら7名絞首刑の判決
昭和24年 下山事件 国鉄総裁れき死体で見つかる
昭和24年 三鷹事件 無人電車暴走
昭和24年 松川事件 東北本線で列車転覆
・・・  等々

当時は自転車が主流
当時は自転車が主流

敗戦後海外からの復員兵・引揚者らで焼野が原の都市で闇市が開かれ、金さえあれば無いものがない、食べ物は勿論、生活必需品、医薬品何でも揃っていた。しかし所栓我が家には高嶺の花であった。

食わんがために必死に生活と戦っていた我々に一番こたえたのは、自転車泥棒の横行であった。吾々庶民の足は自転車しかなかったその頃、私も2回自転車を盗まれた。

その頃の四国電力高松営業所は五番丁にあった。定額制にしろ、従量制にしろ、電力の申込書と若干の手数料を窓口に出して電球を渡して貰う。

私は一寸無理して買った新品のラージと言う自転車で営業所へ申込みに行った。勿論自転車には鍵をかけてあった。届け書を出して帰ろうと自転車の鍵を開け、アッ頂いた電球をカウンターの上へ忘れていたと急いで取りに行きすぐ出て来たら、アッ自転車がない、急いで前方を見ると100mくらい前方を、自転車に乗った男が走っている。アッあの野郎が泥棒か?こちらは足を盗られているので走って追わえたが、所栓追いつける筈がなかった。

泣きの涙で交番へ訴えたら、盗まれた君の方に油断があったのだから仕方がない。駅前へ行ってみろ、妙な男たちが多分君の自転車をバラしているわ。

情けなくて泣きたい気持ちで自転車屋に行きわけを話したら、代金は急がんからボチボチでいいよ。代わりに中古だがこの自転車を使ってみまい、親切な小父さんに励まされ代わりの中古自転車を頂いて、それに乗って毎日懸命に働いた。