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三和60年史の裏話(創業者が語る創業の頃)

創業の頃 (百十四銀行さん)

その頃の竹中さんの四国は、広島支店の一営業所であり、打合せ見積、すべて広島支店で行っていた。設備課長は竹原さんと言う快活な若い方で、私も後藤設備の後藤さんも広島まで宇高連絡船経由、JRで広島詣で。

丁度高松国際ホテルを竹中さんが受注されホテルの方は四電工。従業員棟を当社がそれぞれ 分担して施工した。

電気室は従業員棟の1階に設け、当社の施工範囲。竹原課長はその出来栄えが気に入られて、引き続き施工の四国管区警察局は、設計施工とも当社にさせて頂いた。管区の技術担当者さんと打合せして設計図を仕上げ、

高松国際ホテル(昭和39年代)
高松国際ホテル(昭和39年代)

見積書・原図一緒に広島支店の竹原さんの所へ…

課長からは、「山地さんところは、会社は三流、図面は二流、仕事は一流」とよく冷やかされた。

引続きすぐ向いに建つ四国財務局も受注した。中間検査も無し、絶対な信頼を頂いた 。

その頃百十四銀行本店を日建設計の設計、施工を竹中工務店で特命施工、当社は同時期施工の白鳥支店。引き続き三島支店、善通寺支店、又観音寺信用金庫本店も当社の施工となった。

多忙な毎日であったが若かった私は、愛媛の宇和島税務署まで出ていって施工した。

当時、保全経済会が四国管内各地に次々と竹中さんの特命施工、4店舗ほど当社も施工させて貰った。徳島の脇町支店の施工は竹中さんが辞退され某建設が施工…これは「どうしたことか?」といぶかしんでいると…「保全経済会倒産!」…竹中さんの情報力に感服した。