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三和60年史の裏話(創業者が語る創業の頃)

創業の頃 (竹中さんとの出会い)

その頃の業界は正に戦国時代。

香川県は玉藻電気が筆頭で(専売公社の仕事で四国はもとより大阪の方まで仕事をしていた)香川電気工事、関西電業、徳寿工業、水の方も後藤設備、藤本水道、吉田工業所、みな一国一城の主ばかり…私が知己を得て竹中さんの仕事をさせていただいた頃、竹中さんは某社が一人占めで多忙を極めていた。

当時家庭に取付ける積算電力計は自己負担であったが、当社が2〜3台のメートルを電力会社へ検査に持って行くと、某社はいっペんに20台くらいの

当時は自転車が主流
竹中工務店の皆様と竹和会(昭和20年代)

積算電力計を持ってきて仰天した事を覚えている。特に官庁関係からの発注が多くなり市内の仕事、県内の仕事がどんどん発注になるにつれ、某社は建築業者の下請けは避ける様になって行った。竹中さんの仕事も類を一緒で段々遠ざかって行った。

竹中さんの設備は若い桜井さんという方が担当、工務課長は山本さん、設計課長は水本さん、見積は樫本さん、特に水本課長に可愛いがられ、自宅へも度々お邪魔した。

仕事は桜井さんから命ぜられ、私は毎日の様に、図面を引き、積算して見積書として提出、御下命を頂き殆んどの電気工事は当社、水道工事は先輩の後藤さんや、吉田工業所が施工した。

丁度観音寺の競輪場を竹中さんが単独受注され、その電気と弱電工事をさせて貰い、社総動員で現場へ泊りこみで必死に仕事をした。妻も背中に赤ん坊(現社長)を負ぶって、食事のたき出しに毎日通った、観音寺駅から現場まで1km以上離れており空腹に泣く赤ん坊をゆすぶりゆすぶり…現場の総監督は楠さんと云われ、口やかましいが実は温情溢れる立派な方で、若輩の私はいろいろ叱ってくれたり教えて頂いた。

ある日、山本課長がひょっこり私の自宅を調査?に来られた、家内は生後日のない息子に乳を吸わせているし、母があわてて座布団を裏返しにしておすすめする。家の中は電気材料が四散…「電線は、どこのを…」と問われ、咄嗟に「藤倉を…」とお答えしたが、脇の下から冷や汗が出た、山本さんはニッコリと乳房にすがりついている息子の頬をつついて、帰ってゆかれた。

思えばその山本さんや水本さん樫本さん、そして会計の西課長さん、若さみなぎる若い社員みなさんに、私はすごく可愛がって頂いた。お上手も言わず、殆んど毎日の様に事務所へ通うだけの私、そして電気は当社、水の方は後藤、吉田で遠く愛媛の宇和島の方まで、お仕事をさせて頂き多忙を極めてきた。

後藤さんところへは竹中さんの帰りに立寄りいろいろ教えてもらったし、吉田さんの事務所は丸亀市にありお伺いする度「オイ、タバコを買って来い」と弟の様に可愛がって呉れ、おつりはいつも「取っておけ」であった。