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創業者が語る創業の頃

創業の頃 (竹和会の会長に)

その頃竹中工務店四国営業所は昇格して広島支店から独立し、四国支店として大阪本店の下に編入され、私が協力会社四国竹和会の会長に推された。

大阪竹和会は本店直轄と、京都支店竹和会(加久会長)神戸支店(松尾会長)そして本店の隷下に加わった四国竹和会の4つの会で組織された。

左官工事の大手亀井組の阿食更一郎社長が関西竹和会の会長で4つの竹和会も束ねられて毎 月定例役員会を竹中本店内で開き安全祈願(成田の不動尊)安全大会、又年1回、難波別院の竹中社長を始め竹中工務店社員さんとの合同祈願祭にも出席。

私も四国電管協会の組織委員長として、全国電業協会の会合にも2ケ月に1回出席、全く限の廻る忙がしさ、会社の業務は前川専務以下に任せっきりにお願いした。

小竹さんも協力業者(40数社)を安部一会長を中心に若竹会という名称で組織され、乞われて私が副会長となった。

毎月の安全パトロール、田村神社での安全祈願、そして年1回、若竹会会員全員で、遠近の名所旧跡への見学会旅行、私も家内も同行させてもらい、愉しみの一つであった。

安部会長は元小竹興業の社員であったが、左官業として独立し、小竹興業の社員、勿論若竹会会員にも絶大な人気があった。

私も可愛いがって呉れ、年1回の忘年会(小竹社長始め社員一同も招待)の乾盃の音頭は私の役廻りであった。