今月の一言

2015年12月 大塚グループ様と三和は「50周年」

代表取締役 山地真人 早くも年末、慌ただしい日々が続きますが、お元気でご活躍の事と存じます。実は今年、三和は大塚グループ様との「お取引50周年」でしたが、日々の多忙に紛れ、誠に恥ずかしながら「何の記念行事も行わず」年末を迎えつつ有ります。
 実は10月下旬に大塚グループ様のトップから「50周年だったね!」と、記念の品物「大塚様創業者の筆に成る「流汗悟道の陶板(写真)」」を頂き、これは本来、業者である「三和から大塚様にすべき事だ・・申し訳ない」と、誠に有り難く感じると共に、恐縮している次第です。
 そこで今月号では、大塚グループ様と三和の「50年前の奇跡~流汗悟道の思い出」をお伝えし、三和は大塚グループ様の「お引き立てで今日が在る」、この現実と共に「流汗悟道の精神」を、三和のグループ全社員と共に再確認したいと存じます。

51年前に「奇跡の出会い」が:
 東京オリンピックを1ヶ月後に控えた64年の秋、我が国台風史上ワースト5に入る「風速70m超」を記録の台風20号が高知県宿毛市に上陸、大塚様の本拠地「鳴門市」の沖を通り若狭湾に抜けて行きました。
 この台風で当時、大塚様唯一の鳴門本社の工場群が大きな被害を受け、この緊急復旧に鹿島建設様が向かわれたのです。この時、鹿島様復旧部隊の主力が徳島裁判所の施工チームでした。徳島裁判所は3期工事の真最中であり、既に3年以上に渡り鹿島様と三和は、建設省(現:国土交通省)から共に元請けとして、1期~3期と継続受注し「深いお付き合い」が有ったのです。
鹿島様所長:三和さん、大塚様の台風復旧の為、暫く工事をストップしたい!
三和のM代人:職人を遊ばすので、困ります!
鹿島様所長:ならば一緒に「大塚様の復旧」に行こう!日当は出すよ!
三和のM代人:事情は分かりました。お手伝い致しましょう!
 M代人は10数年前に定年退職しましたが、退職時、その当時を振り返り「不思議な出会いでした。今、思えば奇跡です!」と述懐して居りました。これが「大塚様と三和の50年の歴史」に繋がって行ったのです。

電源が命・三和は陰の主役に:
 M代人は「これは大変だ!」と驚きを隠しませんでした。大塚様の鳴門工場群は水浸しでした。当時はスレート葺きの工場が多く、ボイラー室や電気室の屋根が吹き飛び「電源喪失の状態」でした。
 各工場の責任者から「早く電気を!」の声が次々と入って参ります。電気が無ければ蒸留水も高圧空気も来ないので「生産復旧への試運転すら出来ない!」との、悲鳴の様な声なのです。この声が、三和の部隊の意識を一気に高めました。三和の各班は「日当稼ぎの軽い応援」のつもりが、徹夜作業が続く程の過酷な状況となりましたが、職人達(当時の職人は全て社員)の気力は衰えず、短期間に必死で高圧の電気を復旧させ「多くの製造部門の皆様」に歓んで頂いたのです。
 しかしながら、この必死の復旧作業で大塚様から絶賛を頂いたのは、当然ながら鹿島様でした。三和は名前すら出さず「単なる縁の下の力持ち」だったのです。

鹿島様から特命受注:
 当時の社長、大塚正士様は「男の約束は法律以上だ!」と云われるほど義に篤い人物でした。その頃、正士社長が「長年、世話になった徳島大学に講堂を寄付する」との決断をされ、この講堂建設工事一式を「台風の復旧で世話になった!」と、鹿島様に特命(1社指定)で発注されたのです。
 これを拝命した鹿島様のT所長が、この「大塚講堂を特命で頂けた」最大の功労者は「三和だ!」と判断され、全く取引口座が無かった三和に「特命発注」して頂いたのです。当時の大手ゼネコン様の世界は、協力会社が厳格に制限されており、裁判所の現場で数年の付き合いがあったとは云え「ダイレクトに三和に発注」は、当時の「常識外」だったのです。
 この時、三和が「この大塚講堂の現場に全力投球」したのは当然です。

大塚様と本格取引への基盤:
 翌65年に入り大塚様はオロナミンCを発売される等「急成長期」に入ります。この年に大塚講堂が完成、この頃、正士社長の耳に「三和電業㈱の実績」が伝わった模様です。初取引は工場の小さな改造工事でしたが、M代人は職人と共に全力投球です!。
 その後、数年間、鳴門の各工場で多くの難工事をクリアして行く過程で「三和の誠意と品質」が、工務~正士社長に伝わって行きました。現場をつぶさに観られた正士社長から「これこそが本当の仕事じゃ!」とのお言葉を頂くまでに、三和は成ったのです。

新工場群の殆どを特命で設計施工:
 この結果、正士社長から「今から本格進出の徳島工場群の主要な電気工事は、三和電業を優先しなさい、予算が合えば特命発注しても良い!」と、異例の指示が出されます。
 この徳島工場群は13万坪の巨大な用地に、大塚様の企業規模を「数倍に拡大する程の膨大な投資」であり、次々と建設される工場は、医薬品工場・レトルト食品工場・化学プラント・等、技術面でも三和が「過去に経験した事の無い物件」が殆どでした。
 更に、この数年間には、大塚様からの受注だけで当時 の「年間売上に匹敵するほど」の規模と物件数があり、これ等の殆どを特命で発注して頂いた三和は、高松本社は専務以下に任し、創業社長 山地十三男が陣頭指揮をとり「最高品質の作品」を次々と仕上げて行ったのです。
私自身も大塚様で育てて頂く:
 この60年代後半~70年代に、大塚様はグループ化を推進され、その規模は数倍に成られますが、三和も共に成長させて頂き、69年度には「電気工事業界で四国第2位の売上高」を達成、その1年半後に私が大手での修行を終え、四国に帰って参ります。
 私は、大塚グループ様の担当所長となり、私自身20歳代後半~30歳代の殆どを、大塚様のグループ化~徳島を基盤とした全国各地への展開に、必死で付いて参りました。
 私は「倒れる寸前」となる程の試練も「想像を遙かに超えた歓び」も、大塚様の全国各地の工場で幾度も体験 させて頂くなど、三和と共に私自身も「大塚様で育てて頂いた」のです。

大塚様創業の精神、流汗悟道:
 この30数年前の全国での体験で、私自身、最も学ばせて頂いたのは「大塚様創業の精神:流汗悟道」でした。この頃、大塚様の主要工場には、大塚武三郎創業社長(正士氏のお父上)が大書された「流汗悟道」の額(写真参照)を掲げておられ、私は「どんな意味だろう?」と感じて居りました。
 当時はまだ、大塚様の幹部皆様の中に武三郎創業者の「薫陶を直接受けた方々」が、少なからず居られました。私は三和の大塚様担当所長として「大塚様の創業の精神を深く知りたい!」との思いから、「この深い意味は?」と、この薫陶を大いに受けた某幹部に、教えを乞いました。
 その方は「何事も誠心誠意で一生懸命に打ち込めば、道は自ずと開く・・これじゃ!」と云われ、更に「三和さんも大塚と同じ創業の精神では? どうだ?」と逆に聞かれ「同感です!」と応えつつ、私は「大塚様と三和の創業の精神が同じなのか!」と 実に有り難く、且つ不思議な気持ちになったのです。

 このたび三和からは「記念行事など何も出来て無い」にも拘わらず、大塚グループ様のトップから「流汗悟道の大塚陶板」を頂いたこと、衷心より感謝申し上げます。

 今後、三和の全社員は「創業の精神を再認識」し、日々「流汗悟道」を実践して行くことを、社長として お誓い申し上げ、今年最後の巻頭言と致します。大塚グループ様はじめ皆様方には、今年も本当にありがとうございました。どうぞ、良いお年を!

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