今月の一言

新社長としての決意表明

代表取締役 山地真人  本年より三和電業グループ各社社長となりました、山地一慶(やまじかづよし)でございます。
僭越ながら今月より「今月の一言」を執筆させて頂きます。執筆にあたり多くの方から「前社長の「今月の一言」を経営の参考にしていた。新社長はどのような文章を書くのか楽しみにしている。」といったお言葉を
頂戴しました。前社長のように経験と実績に基づいた立派な文章が書ける訳ではありませんが、精一杯書かせて頂く所存ですので、読者の皆様にはご忌憚のない叱咤激励を頂戴できれば幸いです。
 
幼少期
 さて最初のテーマを何にしようかと考えましたが、その前に、私の自己紹介から始めたいと思います。
 昭和54年(1979年)生まれの38歳。生まれたのは香川県高松市ですが、幼少期を徳島で過ごし、高校卒業まで高松で育っています。上に姉二人の末っ子長男、典型的な甘えん坊でありました。
 そんな私が小学校卒業の時に担任の先生に贈って頂いた言葉が、私の人生の道しるべとなります。
その言葉とは、「世のため 人のため」。
 出来の悪い小学生にこの言葉の重要さなど分かる訳もないのですが、 「お前は自分のためでなく、世のため人のために生きろ。
それがお前の人生を明るく良いものにしてくれる。」と当時の担任の先生から言われたことを覚えています。
まだ素直だった当時の私は「なるほど。人生とはそんなものか。」と何となく腑に落とします。

高校時代
 とは言え甘えん坊のままの私に根性を入れてくれたのが高校時代の野球部での経験でした。いわゆる「古豪」と呼ばれる名門校で、規律や躾に厳しく、それ以上に厳しい練習が待っていました。 私の甘えん坊っぷりを知る人にはことごとく「お前にはムリ。やめておけ。」と入部さえ反対されましたが、何も考えずに名門野球部の門を叩きます。
 お陰で軍隊のような徹底した規律と上下関係を叩き込まれ、半べそをかきながらも何とか「厳しさを乗り越える」経験を人並みにすることができたと思います。
 そしてそこで人生初の「世のため人のため」という概念の実践を体験します。私は名門野球部に所属はしていましたが野球は「ど」がつく下手くそでした。 高校三年の夏、レギュラー争いに程遠い自分の役割を「自らの練習」から「仲間の練習支援」にシフトし、チームが試合に勝つために何ができるかを考えるようになっていたのです。チーム全体がそのような雰囲気だったからできたのだと思いますが、はからずも貴重な体験をすることができた高校時代でした。

三和電業㈱入社
 その後大阪の大学に進学、2年間のサラリーマン生活を経て、三和電業㈱関西支店に入社します。3年間の現場代人経験でも多くの貴重な体験をさせて頂きました。野球同様、現場代人の仕事も「ど」下手くそであった私にできることは「誰にも負けない努力」をすることだけでした。「人間急に優秀にはなれんが、頑張ることだけはできる。やれるだけやってみよう。」体力と根性だけは自信があり、それしかできなかったというのが正直な所。職人さんの使う便所や休憩所の掃除を始め、自分だけでなく他人のためにできることは何でもするというスタンスを徹底することで円滑な人間関係の構築に成功し、半人前の私でも何とか現場を納めることができました。

中国赴任
そして2007年からの中国赴任。日本ではできない経験を最も多くさせて頂いた3年間。辛酸を舐めるような体験も多くありましたが、今となってはそれが私の最大の糧になっていると感じています。特に生産機械を含めて担当した現場では、自らの考え方が如何に大切かを身をもって学ぶことができました。何をやっても上手くいかない、どうしようもない現実を目の前にして愚痴ばかりの自分に
気づき、あらゆることに心から感謝する思いを持っただけで、環境が一変するという経験。どうにもならない現実は自らの考え方が
つくり出していた「身から出たサビ」という真実。人生が変わるほどの衝撃でした。

今後の決意
 2010年に帰任してからは経営企画室長~総務部長~北島支店長~副社長を経て、本年より社長に就任致しました。
このように決して優秀でなく経験豊富な訳でもない私がいかなる社長になるのか?今までの「下積み人生」を最大限いかし、
三和電業グループ発展のため、トコトン経営理念を追求し、誰にも負けない努力をすること。この決意を皆様にお伝えし、
私の最初の今月の一言と致します。

バックナンバー

閉じる